思考法-演繹法と帰納法

 数千年以上前から、私たち人間は「より正しい答え」を導くために「より正しい考え方」を模索してきました。
 そして、哲学者、科学者、技術者といった多くの人に培われた思考法は身の回りの出来事を論理的に解明することを可能とし、現代文明の礎となっています。
 ここでは数多の先人が考え、発展させてきた思考法を、その欠点を含めて稚拙ながら私なりに整理して紹介します。
 欠点を紹介するのは、それを知ることにより間違った証明や詭弁を見抜くことができるようになるからです。

1.演繹法と帰納法

 思考法の代表的な手法に演繹法と帰納法があります。

1.1.演繹法

 演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法です。
 代表的な手法に、大前提・小前提・結論による三段論法があります。

(例)
大前提(一般的原理)「人間は死ぬ」
小前提(事実など)「Aは人間である」
結論(個々の事象)「Aは死ぬ」

1.2.帰納法

 帰納法は個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法です。

(例)
事例収集(個々の事象)「人間Aは死んだ。人間Bも死んだ。人間Cも死んだ」
因果関係(本質的結合関係):「人間だから死んだ」
結論(一般的原理):「人間は死ぬ」

1.2.1.因果関係の研究法

 因果関係を研究する代表的な方法を以下に列記します。これらを組み合わせて使用する場合もあります。

1.3.演繹法と帰納法の関連性

 このように、演繹法と帰納法は相互の到達点が相互の出発点となり、到達点として獲得した論理を相互検証することで、より確実な真理に近づくことができます。両者は対立するものではなく、状況により選択する手段であり、適した方を使い分けてこそ真価を発揮します。

1.4.演繹法と帰納法の欠点

 それぞれの方法にはそれぞれの欠点があります。

 演繹法の欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがあることです。
 先入観や偏見に基づいた間違った前提を適用してしまう場合や、ある限定された範囲でのみ正しい前提を全体に適用してしまうような場合などがそれにあたります。

 帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないことです。(故に帰納法は帰納的推理ともいいます)
 事例の集合が不完全である限り、いくら事例をあげても、それは正しい確率が高いものにしかなりません。
 全知全能ではない人間の認識の限界が帰納法の欠点となります。

 このような欠点をしっかり認識しておかないと間違った証明をしてしまう可能性が高くなります。

1.5.思考の基本姿勢

 人は思考法を発展させていく過程で誤謬(間違った証明)に陥ることを避ける数々の方法も考え出しました。以下に私の知る代表的な方法を列記します。

1.5.1.誤謬の原因の排除

イドラ…真理到達の障害となる先入観や偏見のこと。人間中心の狭いものの見方による偏見、個人の境遇によって生じる偏見、コミュニケーションにおける誤解から生じる偏見、盲信や誤った論証から生じる偏見などがあります。

1.5.2.分析と総合

1.5.3.枚挙と消去

背理法…ある事例や仮説を真とすると矛盾した結論が生じるとき、その事例や仮説を偽とする、あるいは、ある事例や仮説を偽とすると矛盾した結論が生じるとき、その事例や仮説を真とする方法。
数理的には「ある命題が真であるならば、その対偶(逆で裏)も真である」ということを利用した方法で、つまり論理的な「逆」と「裏」を厳密に認識しないと、間違った証明や詭弁となることがある方法です。「逆」は真とは限りませんし、「裏」も真とは限りません。

統計的検定…ある事例や仮説について調査を行い、低い確率でしか起こりえないなら偽、高い確率で起こりうるなら真とする方法。(ただし、これにより偽と判定された事例や仮説も限定された範囲であれば真である可能性があることには留意すべきです)

選別手段…他に、情報が膨大すぎる際に「統計的に必要な数」を「無作為に乱数的に」選んだり、事象を論理的に等しいモデルに置き換えてしまう(数学的には、「自然数nでも自然数n+1でも正しい→あらゆる自然数で正しい」といったような)などの方法があります。

1.5.4.検証

1.6.演繹的手法で一般的原理を求める危険性

 一般的原理を求めるに当たり、帰納法でなく、演繹的手法を用いる方法もあります。
 ある事例に対し、直感的に命題を立て、現実から情報を集めてそれを検証し、命題の正否の判断を行う方法です。
 この方法でまず問題となるのは「直感による命題は先入観や偏見に基づいたものである可能性があること」です。(直感は潜在意識下での高度な推論の結果であることもあり、一概に否定すべきものではありませんが)
 客観的批判をもって自説を検証できれば、この問題は解決できますが、それができない場合、「自説を証明するにあたり都合のいい情報だけを恣意的に選別し、結果、誤った命題を正しいとしてしまう危険性」があります。
 一つの方法ではあるものの、一般的原理を求めるに当たり、演繹的手法は帰納的手法と比較して確実性が低い方法であり、良い方法ではありません。

2.例と解説

2.1.発見

(例)万有引力発見過程のフィクション
 昔、ある所にアイザックという男がおりました。
 彼は様々な事例研究から「動いているものは動いている方向に動き続けようとする」「止まっているものは止まり続けようとする」といった「慣性の法則」を発見していました。
 彼の目下の悩みは「軌道」。彼は観測による事例収集から太陽の周りを周る惑星や地球の周りを周る月がほぼ円軌道を描くことを確認していましたが、それが何故なのか判らなかったのです。
 彼が発見した原理によれば「動いているものは動いている方向に動き続けようとする」筈なのに、惑星も衛星も何らかの理由で、その「動いている方向」を変え続けているのです。
 悩みに悩んだ末、煮詰まっていた彼はある日、たまたま木からもげたリンゴが落ちるのを見かけました。
 なかば無意識にその意味について考えた彼は、一瞬の間の後に彼を悩ませていた問題の解答を得ました。

 「止まっていたリンゴが落ちた」のも「動いている月が地球の周りを周る」のも「地球が引っ張ったから」

 地球に対して相対的に止まっていたリンゴは、慣性の法則によれば「止まっているものは止まり続けようとする」にも関わらず、落下したという事例。これが彼に「地球は物体を引っ張る見えない力」を持っているという結合関係を認識させたのです。
 そして彼は、その観点から見た様々な事例から「あらゆる物体は他の物体を引っ張る見えない力を持つ」という一般的原理を構築しました。
 万有引力の発見でした。

(解説)
 まず断っておかねばならないことは、上記の例は、断片的情報を元にした私の想像ということ。
 故に例における思考過程は「おそらくそうだったのだろう」という推測に過ぎません。
 この例で示したいことは以下の二つ。

 1.何気ないことが発見や発明のきっかけとなることがあること
 2.常識を取り払って原因を考えることが発見や発明の道となりうることがあること

 1に関して。
 例においては「日常の何気ない事例」が発見のきっかけとなっています。
 これは「アルキメデスの法則の発見」、「ペニシリンの発明」の話にも共通することです。
 アルキメデスの場合は「風呂から溢れた湯」と「体が浮く感覚」が「比重」と「浮力」の概念を彼に認識させ、それが問題解決のきっかけとなりました。
 「ペニシリンの発明」においては、サンプルがかびるという失敗に際し、カビの周りのブドウ球菌が死滅していることを発見し、それについて研究したことがペニシリンの発明につながりました。
 これらのことは、「特定の事例研究にだけ拘って視野狭窄に陥ることなく、広い視野をもって事例を集めることが役立つ場合があること」も示唆しているといえるでしょう。

 2に関して。
 例においては、当然なことに対して、それで当然と思わず「何故」と考えたことが、発見のきっかけとなっています。
 これは「『常識という先入観や偏見』が発見や発明を妨げることがあること」も示唆しているといえるでしょう。
 ある事例に対し「当たり前の事」と考えて思考停止するのではなく、「何故そうなったか」を系統立てて考えること。それは「新しい何か」に到達する方法の一つです。

2.2.状況判断と問題解決

(例)点かない蛍光灯
 ある所にそこそこ日曜大工ができる男がいました。  ある日、彼は家人に電灯が点かないという件で呼び出されました。
 彼は行く途中に電灯が点かない理由について考えました。
 点かない原因は、電灯の構造から電源、回線、装置、電球の四種類に大別されます。
 それぞれの可能性を検討し、この内、電源の可能性は他の装置は稼動しているので排除しました。
 そして、残りの回線、装置、電球では回線と装置は故障率が低く、電球は消耗品で故障率が高いことから、電球切れの可能性が高いと目星をつけました。
 現場に到着した彼は、念のために、家人に状況を訊きました。それによると、電源を入れた際に一瞬点いた後に点かなくなったとのこと。
 彼は考えました。
 「事前にその電灯は一瞬点いてから点かなくなった」
 「その電灯の電球が焼ききれた可能性が高い」「電球に電流が流れていたことから、回線、装置の可能性は無い」
 「電灯が点かないのは電球が切れたせいだ」
 彼は買い物に出かけ、電球を購入し、電灯の電球を交換しました。
 しかし、電灯は点きません。
 購入した電球が不良品の可能性を考え、別の部屋の電灯に付け替えて試したところ、点きました。
 よって、電灯が点かない原因について、電球の可能性を排除しました。
 残る可能性は回線と装置。
 彼は別の部屋の電灯と点かない電灯を交換しました。
 交換した電灯は点きました。このことは回線から電力が供給されていることを意味します。
 よって、電灯が点かない原因について、回線の可能性を排除しました。
 残る可能性は装置のみ。
 彼は装置を分解し、その結果、装置内の回線が焼き切れているのを発見しました。
 彼が手持ちの材料で回線をつないだところ、その電灯は点くようになりました。
 彼は、装置内の回線が焼き切れた原因に関して、ざっと考えた結果「なんらかの原因により過電流が流れた可能性が高い」と考えましたが、それ以上の考証については、再現性があるかも判らず検証も面倒なので、行いませんでした。

(解説)
 この例で示したいことは、以下の3つ。

1.帰納的手法による推論と演繹的手法による推論の違い
2.演繹的手法による推論が誤った原因
3.人間の判断基準による問題

 1に関して
 例に登場した男は、「電灯が点かない」という問題を電灯の構造から細分化し、不確実な部分を確率に置き換えて複数の仮説に置き換えて検証するという、帰納的手法による推論と、事前の状況に自分の知識にある原理をつないで結論を出すという演繹的手法による推論を行っています。

 2に関して
 例に登場した男は「電灯が点かないのは電球が切れたせいだ」という厳密には正しくない結論を出しました。(実際は複合要因で装置内の配線も切れていた)
 その原因は一瞬でも電灯がついたことで「電球に電流が流れていたことから、回線、装置の可能性は無い」と断定してしまった点。
 確率は低いものの「一瞬電流が流れた後に回線、装置の片方もしくは両方に問題が発生した可能性」があるということも想定すべきだったということです。
 逆とか裏とかいったものを厳密にとらえないとこういうミスをすることがあるという例です。また、厳密に論理的に考えないと複合要因でも単一要因という間違った結論に達してしまうことがあるという例でもあります。
 相対的に、状況判断と問題解決においては、物事の因果関係を究明する帰納的手法の方が確実ということです。

 3に関して
 例に登場した男は、障害復旧後の装置の方の断線の原因究明を怠りましたが、それは正しかったでしょうか。
 もしかしたら、断線は重大な欠陥の現れの可能性もあります。
 焼き切れた配線は次の障害発生においては火災の原因になるかもしれません。
 可能なら、修理せずに製造元にクレームを出すなり、新しいものに買い換えるなりという方が正解だったかもしれません。
 可能性が低いからといって障害に対して備えないでいいというわけではありません。それにより失うものが大きいことが予測できる場合は、なんらかの対策を取る方が正解というものでしょう。重大な結果を招くような可能性に対しては、確率が低くても対応を検討することが重要ということです。
 その反面、軽微な障害に対して必要以上に時間、労力、金銭といったものを消耗するのも考え物です。
 そして、そのような選り分けを行う基準である判断基準の策定というものには、なかなか正解というものがないのです。

2.3.目標達成

(例)
 ある航空機メーカーが新技術を導入した新型機の開発を、以下のような段階を踏んで行うことを決定しました。

 ・第一段階:原型
 既存の技術と新技術との組み合わせの実験と新技術の実際の程度と問題点の確認。

 ・第二段階:試作
 原型の問題点改善、操作性や耐久性や実用性といった各種要素の試験。

 ・第三段階:量産型
 試作の問題点改善、性能不足な部分の高性能化、量産のための簡略化、オーバースペックな部分の低品質化によるコストダウン。

 開発に当たっては、それぞれの段階において、設計、評価、製作、実験/試験、検証といった過程を経て開発を行い、評価や検証の結果によっては、それぞれの段階の最初に戻って再設計や目標値の変更、原型や試作の改造等を行う、もしくは計画自体を中止するといった選択を行うとしました。

(解説)
 ここで大事なのは、この手の作業においては.「帰納的手法と演繹的手法の両方が重要」ということ。
 設計においては、目標達成のために様々な方法を組み合わせ最良の方法を構築したり、必要なものが使えないときはそれに代替する方法を既存の手法の組み合わせで構築するような、演繹的な思考能力が必要です。
 評価や検証においては、様々な事例を想定もしくは確認して設計の問題点と改善点を指摘できるような帰納的な思考能力が必要です。
 実験や試験の結果を効率よくフィードバックするためには、必要最小限で最大限の効果が得られる実験/試験項目の策定を行う演繹的能力や、それにより得られた事例から問題点と改善点の整理や新技術の効果の確認を行い、それらに伴う偶発的、あるいは必然的な新技術の発見を行う、といったような帰納的な思考能力が必要です。
 このような作業には理論構築とその検証といった、演繹と帰納の相互検証が重大な意味を持つということです。

3.詭弁家の代表的手法とその対処例

 人はしばしば議論を行います。そういう場において、議論の正常な進行を妨げる詭弁家の存在はやっかいなものです。
 本来は物事の本質をついた議論こそが詭弁を排するものなのですが、詭弁家の手法を知り、その対処法を身につけておくことも、議論の進行の正常化に役立ちます。
 そこで、ここでは詭弁家の代表的手法のいくつかとその対処例を紹介します。

3.1.背理法の欠点をつく

手法

 正でなければ負というような二項対立ではなく、複数の事例や仮説が存在するような場合などに、不適切な相反する論理を使用し、背理法の欠点をついて誤った証明を行います。

対処例

 相反する論理が一つでないことを示すなどして、逆や裏の使用が不適切であることを示します。
 相手の言葉に惑わされて、あたかも二項対立であるかのような錯覚(二項対立の罠)に陥ることなく、幅広い視野を維持することが肝要です。

3.2.演繹的手法の欠点をつく

手法

 ある命題を持ち出し、その命題に適合する事例だけを示すことで、命題が真であるかのように装います。よくあるペテンの手口です。

対処例

 命題に適合しない事例を示すことで、命題が必ずしも真ではないことを示します。

3.3.言語表現の欠点をつく(開き直り)

手法

 言葉というのは使用する条件によってその意味合いが変わったり、言語自体が慣用的に矛盾した表現を内包していたりするのですが、そういった言語表現の欠点をついて開き直る人もいます。

対処例

 その議論における言葉の定義を明確にして、以降、同じ手は使えないようにします。
 最初から誤解の余地が一切無いような言語表現をするのが一番望ましいことですが。

3.4.言い逃れ

手法

 命題に対する真偽の検証に対して、別の論理を持ち出します。

対処例

 詭弁家が持ち出した論理が命題の答えになっていないことを指摘します。

3.5.論点ずらし

手法

 議論において、解答に窮すると、別の事例や仮説を持ち出すことで論点をすりかえようとします。

対処例

 事例や仮説が論点からずれていることを指摘し、論点を戻し、解答を求めます。

3.6.曲解

手法

 議論において、相手の言を曲解し、その曲解した内容に対して言い返します。

対処例

 曲解していることを指摘し、必要ならば、本質に基づいたきちんとした解答を求めます。

3.7.揚げ足取り

手法

 議論において、相手の言葉尻を捕えて、議論の本質から離れた批難をすることで、形勢不利な議論からの逃亡を図ります。

対処例

 そもそもそういうことをされないように言葉を選んで発言するのが最上。ミスリードできる(あるいは、してしまう)ような発言をしてしまったであれば、自分の責任のほうが大というものです。やむを得ずそうなった場合は、相手の批難が的外れであることを指摘するか、不適切な言葉の使用を謝罪するかした上で、本題に戻るようにします。

 多くの詭弁家は勝敗を議論の目的としており、議論において負けないために、発言の誤りや問題を指摘されると、論点ずらし、曲解、言い逃れ、揚げ足取りなどで議論をかく乱しようとします。
 それに対する対応の基本は、議論している内容の本質を見失わないことです。
 相手によりますが、詭弁家がただの負けず嫌いであるならば、「議論の目的は、より正しい答えを出すことであり、勝ち負けではない」ということを理解させることが不毛な詭弁合戦を避けるための有効な手段となる場合があります。
 しかしながら、相手が盲信者や工作員などの場合は、「解りたくない人間に解らせること」や「解っていてやっている人間にやめさせること」は非常に困難ですので、「相手の詭弁を論理的に指摘する能力」や「適当なところで相手を放置できる判断力」といった種類の能力が必要となる場合もあります。

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