プラモデルの歴史

プラモデルの始まり

 プラモデルは1936年にイギリスのフロッグというライトプレーンメーカーが発売したのが始まりと言われています。
 シリーズ名はペンギンでイギリスの戦闘機や爆撃機が1/72スケールで発売されました。
 名前の由来は、ゴム動力で飛ぶライトプレーンに対しプラモデルは飛ばなかったからだそうです。飛ばない鳥、ゆえにペンギン。
 第二次世界大戦後、プラモデルはアメリカでブームとなりました。
 イギリスでのラインアップが飛行機中心であったのに対し、アメリカでは艦船や自動車もプラモデル化されました。
 普及には飛行機の敵味方識別教育にプラモデルが利用されたことも一役買ったようです。

日本におけるプラモデルの歴史

昭和初期ープラモデル前史

 昭和初期、プラモデルの誕生が1936年(昭和11年)であることから明らかなように、日本にプラモデルは存在しませんでした。
 当然、プラスチック製の玩具も模型も存在しません。
 だからといって、玩具や模型が存在しなかったというわけではありません。
 当時の玩具はブリキや木材やセルロイド(1856年に作られた合成樹脂の一種)でできていました。
 模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でした。
 現在、静岡に模型メーカーが多いのはこのことによります。
 静岡は、良質な木材を産出する日本アルプスから河川が流れ込む木材の集積地で、古来より木材加工が盛んであり、教材目的の木材加工を行う科学教材会社や木製玩具会社も多数、この地に生まれ、それがこれらの模型メーカーの源流となったのです。
 タミヤ、ハセガワ、アオシマ(青島文化教材社)、フジミ、イマイなどは、そういった静岡の木材加工を源流とする模型メーカーです。
 なお、バンダイも静岡に工場を持ちますが、この流れの模型メーカーではありません。
 当時、模型は日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気で、ソリッドモデル、ライトプレーン、グライダーあるいはモーターグライダーなどが主流だったようです。
 飛行機の模型は実際に作って飛ばしてみるなど、模型は科学教材として正式な授業に組み入れられることもありました。
 1941年(昭和16年)12月、日本は、アメリカを中心とした連合国の対日石油禁輸などの経済制裁に対し、東南アジアで産出される資源を獲得するために、そこを植民地としていた連合国と戦争を始めました。
 日本は資源地帯は押さえたものの、連合国が行った潜水艦による輸送船攻撃等のシーレーン攻撃が激しさを増すにつれ物資は日本に届かなくなっていき、日本本土では様々な物資が不足していくようになりました。
 当時は天然素材に依存していたゴムも例外ではなく、ゴムを動力源にして動くタイプの模型は作れなくなり、模型店は開店休業に近い状態になったそうです。

昭和中期ー国産プラモデルの発展

 1945年(昭和20年)8月、日本は連合国に降伏し、日本本土はアメリカに占領され、その年10月から1952(昭和27年)年4月までGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に統治されました。
 戦後の一時期、日本ではGHQにより武道など様々な分野で禁止令が布かれました。重要な軍事技術でもある航空技術の研究も禁止され、その中には模型飛行機も含まれていました。
 この時期、プラモデルが米兵の個人売買など進駐軍(占領軍)を経由して持ち込まれるようになりましたが、非常に限られた人たちしかプラモデルを手に入れることはできませんでした。後に輸入代理店を経由しても入るようになりましたが、流通は一部地域に留まりました。

 1947年(昭和22年)の民間貿易再開後の一時期、玩具は日本の輸出製品の主力の一つとなりました。当時も戦前と同じくプラスチックは玩具には殆ど使われていませんでした。
 そこへ一つの転機が訪れました。
 1954年(昭和27年)12月、ニューヨーク市消防局が日本製のセルロイド製玩具は発火性が高く危険と声明、市場からセルロイドが姿を消したのです。
 企業体力のある会社はセルロイドから代替材料への乗り換えを図りました。
 セルロイドの代替材料としてはプラスチックとソフトビニールが主な乗り換え対象となり、プラスチックが一気に普及しました。
 セルロイドの時代の終わりは、また、プラスチックとソフトビニールの時代の始まりでもあったのです。
 後に日本におけるプラモデルのパイオニアとなるマルサンも、そうしたセルロイドからの乗り換え組みの会社の一つでした。
 当時のマルサンはセルロイド製玩具、光学玩具、ブリキ玩具を主力商品として扱っていた会社でしたが、プラスチック製玩具の研究を行い、日本最初のプラモデルを1958(昭和33年)年12月に発売して全国流通させました。(厳密には、マルサン以前にも日本プラスチックなどのメーカーがプラモデルを開発していた形跡がありますが、流通したとしても一部地域で、全国流通には至りませんでした。)
 マルサンの最初のラインナップは、原子力潜水艦ノーチラス、ダットサン1000セダン、PT212哨戒水雷艇、ボーイングB-47の4種類でした。
 この内、和光が実車のノベルティとして作った物を一般販売したダットサンを除けば、原子力潜水艦ノーチラスがアメリカ・レベル社が1953年に発売した製品のコピーであるなど、残りはアメリカのメーカーのコピー商品でした。
 マルサンはプラモデルという言葉を商標登録し、その後十数年間「プラモデルと呼べるのはマルサンだけ」という状態が続くこととなりました。

木材加工会社の転身

 プラスチックの普及は木材とブリキの衰退も招きました。
 木材もブリキも、その精密さや組みやすさにおいてプラスチックに敵わなかったのです。
 これに伴い、木製模型メーカーもプラスチックへの乗り換えを図りました。
 そうしたメーカーの中の一つ、ニチモ(日本模型)から1959年(昭和34年)2月に「伊号潜水艦」が発売されました。「工作セット(プラスチック製)」としてのスタートでした。
 伊号潜水艦は凝ったギミックを搭載していて、ゴム動力で水中を動くだけでなく、自動浮沈機構で浮いたり沈んだりといったこともできました。
 ギミックにこだわらなかったら、もしかしたらこれが日本最初のプラモデルだったかもしれません。
 僅かな差でマルサンに日本最初のプラモデルの地位を譲ったものの、このキットは爆発的な人気を呼び、売れに売れました。

キャラクターモデルの誕生

 続く、1960年(昭和35年)はキャラクターモデル誕生の年でした。イマイより鉄人28号がゼンマイ歩行するプラモデルとして発売されたのです。
 この時代のキャラクターモデルというと、他にはゴジラなどの怪獣、レッドバロンなどのスーパーロボット、サンダーバードなどのSFメカが挙げられます。
 当時のプラモデルは、スケール、キャラクター、共に動かして遊ぶ玩具の一種としての性格が強く、ゼンマイやモーターで動いたり、バネで部品を発射したりするギミックを組み込まれたものが多かったのが特徴です。

昭和終期ーリアルロボットプラモデルの時代

プラモデルという商標の権利の行方

 1968年(昭和43年)にマルサンは倒産しました。
 その際、プラモデルという商標は問屋大手の三ツ星商店に売却されました。
 1975年(昭和50年)、この商標は日本プラスチックモデル工業協同組合に譲渡され、これにより組合所属のメーカーであれば自由にプラモデルという商標を使えるようになりました。

1980年代ーリアルロボットアニメとそのキャラクターモデルの時代

 1979年(昭和54年)に放映されたテレビアニメ「機動戦士ガンダム」は初放映時は玩具販売が賑わずスポンサー(クローバーという玩具会社)に打ち切られたアニメでした。
 しかし、量産型人型兵器が活躍する戦争を描いた連続ドラマはコアなアニメファンを中心とした視聴者に衝撃を与え、番組中盤ごろから話題になりはじめました。(それまでのその手のアニメは、登場する敵ロボットは一話に一体という一話完結型が主流でした。)
 それに加えて「ニュータイプ」という人の革新に対する幻想もあいまって徐々に人気が高まり、再放送時には爆発的な人気となりました。(当時のSF界ではそうした「人の革新」をテーマにしたものが流行っていました。そういう時代だったのです)
 1980年(昭和55年)、バンダイよりガンダムのプラモデル(以降ガンプラ)が発売されると、それは大人気となり、出荷後すぐに店頭から消えるという慢性的な品薄状態となりました。
 今では考えられないことですが、当時はガンプラの発売日には開店前からそれを求める子供の行列が並ぶということがしばしば発生しました。
 ガンダムは、ガンプラを求める子供たちがデパートで開店ダッシュし階段に殺到するほどの(時には積み木倒しになる事件が発生して報道されるほどの)社会現象となったのです。
 そして、ガンダムは同様のコンセプト(量産型人型兵器が活躍する戦争を描いた連続ドラマ)を持つアニメーいわゆるリアルロボットアニメの草分けとなりました。
 (自律行動しないメカをロボットと呼ぶのは語弊がありますが、日本における慣用表現ですのでそのまま用います。)

 ガンプラの売れ行きを見た他社はただ指を銜えて見ていただけではありませんでした。
 ある会社は子供騙しならぬ保護者騙しのガンプラの紛い物を販売しました。
 またある会社は二匹目の泥鰌を狙ってリアルロボットアニメをアニメ会社に製作させ、そのスポンサーとなりプラモデルを販売しました。
 こうして1980年代はリアルロボットアニメが濫造された時代となりました。
 バンダイのガンダム、ザブングル、ダンバイン、エルガイム、Zガンダム、ガンダムZZ、ドラグナー、バイファム、レイズナー。タカラのダグラム、ボトムズ。イマイとアリイのマクロス、オーガス、サザンクロス(いわゆる超時空シリーズ)。アオシマのイデオン。現GSIクレオスのドルバック。その他色々。
 まさしく、模型業界において1980年代はリアルロボットアニメとそのキャラクターモデル発展の時代でした。
 今現在もこうしたキャラクターモデルを作っている人の年齢が30歳前後に集中しているのは偶然ではありません。
 彼らは1980年代に少年期を過ごした人々なのです。

エピローグ

 かつて玩具は買うものではなく作るものでした。
 庶民の子供にとって完成品の玩具は高価なものでした。
 小金があれば完成品より安い組み立てキットを買いました。
 キットも買えない者は身の回りのものを加工して玩具を作りました。
 腕のいい子供は仲間に売って小遣いを稼いだりもしました。
 玩具を自らの手で作ることで造形の楽しさを覚える者がいました。
 創意工夫を身につけた者もいました。
 そういう時代がありました。

 時が流れました。
 今の玩具は庶民でも楽に買える価格の完成品が主流となりました。
 組み立てキットは姿を消しつつあります。
 凧もライトプレーンもグライダーも組み立てキットを売ってる所はほとんどなくなりました。
 だいたい、飛ばして遊べる広い場所もほとんどありません。
 日本は豊かになりました。
 豊かにはなりましたが、伸び伸びとした遊びには貧しくなったかもしれません。

参考文献
日本プラモデル興亡史―子供たちの昭和史 (文春文庫)日本プラモデル興亡史(文春文庫)@Amazon

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