寒さと痛さと不愉快さに満ちた自己紹介へようこそ
ハンドル名 | ダイスケ | 出島人においてはD老師。 |
性別 | 男 | 心底、男にうまれて良かった。 |
年齢 | アレゲ世代 | わからない人にはわからなくていいです。 |
ガンダム占い | RX-78-2 ガンダム | ぶっちゃけ蟹座のO型ということ。ネタにならない残念な結果。ザクとかの方が良かったのに… |
北斗南斗占い | ケンシロウ | ぶっちゃけO型で16日生まれということ。これまたネタにならない結果。ジャギとかアミバの方が面白いのに… |
主な行動範囲 | 兵庫県南部 | 車や人が多いところは苦手な傾向あり。 |
思想 | 現実主義、改良主義、平和主義 | ハトでもタカでもないフクロウ。 |
信条 | まったり楽しく生きること | 世の中は悲劇で満ち溢れていますし、辛いことも多いですが、人生は楽しまないとね。御気楽極楽。 |
自分を一言で表現して | 偽善者 | 偽善者ほどやっかいな種類の人間はいないと思う。 |
補足するなら? | 毒、腹黒、不謹慎 | 心の中が闇で満ちています。 |
まとめ | ああ、そうさ。俺は模型オタでアニオタでゲームオタだ!おまけに鬱で引きこもりで偽善者だ!ああ、ダメ人間、ダメ人間、ダメ人間!強烈な自己嫌悪が強烈な自己破壊衝動となって、俺を自爆行為にかりたてる。そう、自爆だ。おのれの未熟な知識と技量を曝け出し、わざわざ失笑を買っているのさ。もちろん判っているさ。俺は精神を病んでいる。物知りぶっておいて、実はアホでバカでマヌケでろくでなしだ。まったくどうしようもない腐れ野郎だ。我ながら反吐がでるぜ。最低としかいいようがないな。 …えーと。 インターネット上で痛い様を晒している自分に対して激しい自己嫌悪を感じていたりするのは事実です。(おい) |
−何故こんな誰でも知ってるようなことばかり綴られたページを作成されているのですか?
最初の動機はとある掲示板(既に閉鎖)で繰り返されていた不毛な質疑応答。
ログが流れた頃に過去ログを調べないような人が同じような質問を繰り返し、それに対して同じような答えが繰り返されるというどうしようもない現実。
で、誰かが手順なり質問に対する回答なりをまとめておいて、検索すればすぐ判るようにしておけば、掲示板利用における不快指数を下げることができるのではないかと思ったのです。
単刀直入にいうと、平和的に自分の住む環境を護るための行為です。
多くの質問が基本的なことなのに対して、開設した当時はそういう基本的なことについて解説しているサイトは少なく、雑誌も初心者向けの特集などほとんどせずプロがプロの技を見せつける場となってました。それならば基本について解説したサイトを作れば、そういう基本的な質問の数を減らすことができるのではないかと考えたのです。
正直あれですね。作っていて恥ずかしいです。
私程度の技量ではおこがましいことこの上ないです。
今はそういう基本から解説しているサイトも増えましたし、雑誌も初心者獲得の必要性を感じたからか初心者向けの企画を繰り返してますので、このページを運営していく意味も殆ど無くなってしまったと思っています。
しかし、雑誌や本でフォローされないことまで含めて記述していけば意味のあるものになるのではないかと、自己満足のためにやっています。インターネットに共有の財産としてフィードバックだ!
そう、サイト経営も所詮自己満足。
−なんで「研究室」なんですか?
何故ならば、インターネット上の「研究室」というものは半端な人が半端なものをひけらかす場所を意味するからです。
つまり、私自身が半端者ということを自覚した上で皮肉として使っているわけです。
−平和主義者といいながら兵器(笑)の模型を扱っているのは不謹慎ではないですか?
まず大事なのは「平和主義者=兵器などの軍事力の否定」ではないことです。
「正義無き力は暴力。力無き正義は無力」といいます。
軍事力は平和を護るために抑止力・交渉の材料として持っていないと話にならないものです。
ゆえに平和主義者であるからといって、兵器の存在を否定することはありません。平和主義者は物事を平和に解決することを望むから平和主義者なのです。
…というような奇麗事はさておき、単に「力の象徴」としての兵器が好きだから、その模型を好んで作っています。アニメであろうと現実であろうと兵器は力のシンボル。
−おい、おまい。右翼なのか左翼なのかはっきりしろよ!
こういう二択の質問はあまり意味が無いと思います。世の中には色々な考え方がありますし、それぞれにそれなりの正当性があります。このような乱暴なカテゴライズは対立を煽るだけで現実的ではありません。
確かにそういう方向に偏った人々もいます。しかしながら大抵の人はその中間くらいの層に位置しますし、 私自身もそういう層の人間です。
理想としては理解できても現実とあまりに乖離した思想には左右問わず共感できません。例えば非武装中立論は現実から乖離しているものの最たる例でしょう。
判断の前提となる歴史認識において大きな相違があるのも共感できない理由です。一部の右翼のような日本無罪史観も一部の左翼のような極端な自虐史観も受け入れ難いです。
私自身は第二次世界大戦において日本が行った侵略行為は国家犯罪だと考えます。しかし、当時の日本の状況を考えれば、それはやむを得ない選択だったとは思います。だからといって、それは当時の日本を免罪する理由にはなりません。犯した罪に対しては(教訓としての意味を含め)自省が必要というものでしょう。
日本だけが悪かったかといえば、そうは思いません。戦勝国にも国家犯罪はありました。国家犯罪は敗戦国だけでなく戦勝国についても公正に裁かれるべきです。東京裁判のような戦勝国による一方的な裁判は、それ自体が一種の国家犯罪と考えます。
−理想もかたれないヘタレですか?(笑)
理想は大事ですが、現実にそぐわない理想は実現不可能なだけでなく、迷惑そのものです。
大抵の人間は理想になんてついてこれないものです。
理想はそれ自体がいかに高邁なものであろうと、その強制はまた別の問題を引き起こします。
理想は到達すべき目標としては必要なものですが、(最初から多くの人が受け入れることが可能なものか、なんらかの手段で強制できるものでない限り)そこに近づくためには世の人々に受け入れられるように現実に対して妥協する必要があるものです。
私としては緊急でない限り、理想の追求はほどほどにして、そこにより近づくための現実的な妥協点を見つけるようにするのが一番と思います。(「緊急」の場合は妥協を許さない対応が必要なことも知っています)
多分、理想のために対立するよりよっぽど平和に暮らせますよ。
いいじゃないですか。汚れていたって。
川が奇麗すぎても魚は住めないんです。
だいたい、人間なんてもとからそんなに奇麗なものじゃないんです。
汚くても奇麗に生きようとしているだけなんです。
プロフィールをより寒いものにするために、皆様からの寒い質問を募集しています。